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2011年9月28日水曜日

宮城県 CLC「国見・千代田のより処ひなたぼっこ」様から支援のご報告をいただきました。

このたびは、やわらぎソーシャルサポーター様を通じて
ジャパンソサエティ様より自転車や雨具などを頂戴し、大変ありがたく存じます。

仙台市青葉区千代田町で、常設サロン「国見・千代田のより処ひなたぼっこ」を運営して3年目になります。
ここ国見小学校区は坂が多く、高齢者も多く住んでいます。
東日本大震災の発生時は、サロンに地域の方が4人遊びにこられており、
また介護の必要な女性が泊まっておられたため、スタッフ2人で5人を外へ避難させました。
その後、雪が降り始め、近くのバス停に集まった地域の方々に毛布を配ったり、
避難所の中学校へ車でピストン送迎などをして対応しました。
翌朝からは、地元自治会が炊き出しを始め、
「ひなたぼっこ」も大家さんの機転でプロパンガスに切り替えて調理可能となり、
1日3食の配食を始めると同時に、大学生ボランティアの協力で、徒歩や自転車による買い物代行も行いました。
余震が怖いからと、一人暮らしの方々がひなたぼっこへ一時避難にこられ、
次の住まいへ引っ越しをするまで1か月ほど滞在された方もいます。
原発事故を逃れて、福島県からひなたぼっこへ避難された母子もいます。
ここに出入りするボランティアたちと打ち解け、自分のできることを協力してくださるうちに
皆さんお元気になり、現在もそのご縁は途切れることなく、交流が続いています。

ひなたぼっこでは、現在も地域の高齢者の見守りや3食の配食を実施しており、
足となる自転車は欠かせません。
特に電動自転車は、坂が多いため大活躍で、
地域の一軒一軒を訪ね歩くには大変重宝していますし、
たくさんの荷物を積んでも楽に運転することができます。
ひなたぼっこには、シニアボランティアもおり、
車は運転できないけれど自転車は乗れる方々なので、
彼らに地域活動を担っていただく際の足としても重宝しています。
雨具も通気性がよく快適です。

ひなたぼっこには、震災後、さまざまな理由による一時宿泊の相談が増えました。
それまで家族が内に抱えてきた生活課題が、震災を受けて表面化してきたと感じます。
今後も、自分たちのできることに積極的に取り組んでいく所存です。
あらためて、このたびの助成に深くお礼を申し上げます。

国見・千代田のより処ひなたぼっこ




2011年9月25日日曜日

岩手、宮城の支援先が増えました

岩手県、大船渡の在住の方から、「気仙介護センターほほえみ」様をご紹介されました。
また、宮城県の「めだかの楽園」の井上様から、「NPO法人 のんびーりすみちゃんの家・居宅介護支援事業所」 をご紹介されました。
どちらも沿岸部にあったために地震と津波で大きな被害に遭われました。
ゼロからの再出発で地域のため、利用者のために事業所を復興している最中です。
沿岸部は自動車をはじめ多くの交通手段が流されて、利用者宅へ訪問は元より、職員の通勤にも苦慮されていると伺っています。
私どもの支援が生かされればと思います。
順次、状況をお伝えできればと思います。


2011年9月17日土曜日

ジャパンソサエティ協力支援:福島県 NPO さぽーとセンター ぴあ


 福島県の南相馬市にある 特定非営利活動法人「さぽーとセンターぴあ」にお伺いをしました。
お話をしていただいたのは、施設長の郡信子さんです。

 こちらを物資支援で、ご推薦いただいたのは、全国コミュニティライフサポートセンター(以下CLC)からです。
 震災後にこの施設へCLCの方が定期的に物資を届けて、繋がりを持っていたようです。
南相馬市は一部放射線の避難地域になっており、私達がお話を伺った「ぴーなっつ」そして自立研修所の「えんどう豆」は緊急時避難準備地域に指定されています。
行っている事業は、
 ・ディサポートの「ぴーなっつ」
 ・自立研修所の「えんどう豆」
 ・自立研修所の「ビーインズ」
 ・日中一時支援事業「豆っ子」で、高校生までの障がいのある就学児童を預かったり在宅介護をしています。

 事業の主体は、障がい者の生活介護、生活訓練、就労に向けた自立支援事業を行っているようです。
 活動は、平成元年に原町聖愛保育園の子供の保護者と職員の障がいについての勉強会から始まった様です。 
平成元年8月に「障がい児 ひまわりの会」を発足。
 平成7年に小規模作業所として「自立研修所 えんどう豆」を開所し、平成11年には「自立研修所ビーンズ」開所。
平成18年にNPOとして「サポートセンター ぴあ」の設立になりました。

 震災当時は、施設長の郡さんは自宅にいて、幸い地震の被害にも津波にも無事でした。
 その後の原発事故も双葉町との距離もある事から現在の様になるとは想像してなかったようです。
 被害の実体が明らかになると、鹿島町にあった「ビーンズ」が建物の老朽化から被害に合い今は別な場所で行うことになりました。
利用者の方には亡くなった方もいますし、原発事故の影響で多くの方がバスにのり非難をしていきました。
 郡さんは電話や訪問で安否確認をしましたが、避難できずに取り残された方もおり、郡さんも現地に残りました。
利用者の方々の安否確認や非難先の確認は元より、現在どれだけの方が南相馬に残っているか分からず、また非難を求めに来る人もいて、「ぴーなっつ」を開けて人々を受け入れました。
 行政の机上での指導ではゲームのコマを動かすように指示をしますが、やはり現地では生身の人間が現実に直面して戦っており、その現実に対応する事がより求められるように思います。

 当初、「ぴーなっつ」も閉鎖していたようですが、1ヶ月後には再開をしました。
郡さんやスタッフの方は市内の障がいをもっていらっしゃる方々がどうなっているかを一次調査二次調査と再調査を重ねて明らかにして必要な手を差し伸べていました。
 特に唯一の精神科の病院が震災後に移転をされた時には、デリケートな精神障がいの薬の確保など利用者の方を含めてご苦労をされた様です。

 震災後、何事も無かったように思えますが、放射線の風評被害もあり、物資が入ってこなくなり、ものが無くなっていき、それは「ぴーなっつ」だけではなく取り残された人たちに共通で、同じ苦境に置かれた様です。4月〜5月にかけては本当にひどかったようです。
だから、CLCの定期的に物資支援は本当に助かったとおっしゃっていました。
「ぴーなっつ」自体も周辺住民への物資支援の拠点の位置づけになっていました。
今は落ち着いてきましたが、震災後に家も仕事も失った人が大勢おり自立支援はこれからが本番です。

 震災後は非難などで一時的に減った利用者の方も、避難地域の施設が閉鎖になった事などの影響で、新しい利用者の方も加わり、現在は60人程の利用者の方々がいらっしゃるようです。
福島の放射線被曝が懸念される地域は、今後「除染」というプロセスがあります。
公共の建物は市で行いますが、「ぴーなつ」の様な施設や私立の幼稚園、保育所、学校、個人の所有する建物はそれぞれが行うようです。

 費用や依頼できる業者の手配など含めてまだまだ明らかになっていない点が多い様です。
避難解除を迎えるにつれ、また次の希望に向けた展開があると思いますが、ぜひくじけずに頑張っていただきたいと心より思いました。

2011年9月10日土曜日

ジャパン・ソサエティー協力支援;(予定)NPO法人CLC 石巻現地事務所


全国コミュニティライフサポートセンター(以下CLC)が主体で立ち上げている、東北関東大震災 共同支援ネットワークである「石巻現地事務所」におじゃましました。
こちらも、物資支援の予定先として上がっています。
お話は、現地事務所の田村さんと山口県より長期でボランティアに来ている長沼さんに伺いました。
現地事務所は311日の震災後、322日に石巻市桃生町にある「せんだんの杜」に拠点を立ち上げ、4月より石巻市から提供を受けた現在の石巻市桃生公民館樫崎分館に拠点を構えたそうです。
現在の常駐職員は田村さんを含み3人でローテーションを組んで対応をしているそうです。
こちらへは、株式会社ガリバーインターナショナル様からの車も無償貸与の取り次ぎを支援をさせていただきました。
石巻現地事務所は、石巻市桃生町の田園風景に恵まれた中にあります。
ここは、専門職ボランティアを各避難先へ派遣をされるための寝起きをする拠点でもあり、生活物資支援の集積所としての役割を担っています。

その点では、公民館は講堂、調理場、食堂、和室と使い勝手の良さそうな間取りであり、駐車場も広くて、見ている限りは理想的な拠点ではと思いました。
とはいえ、多い時で数十人からのボランティアの眠る場所の確保、食事の提供などは、大変なお仕事だろうと容易に想像できます。

講堂には、この場所自体が避難所では・・・と思えるぐらい、寝具や身の回りの荷物が整理して置かれており、期間限定とは言えボランティアの方は1週間程度ここで寝起きをします。
人の役に立ちたいという強い気持ちと連帯感が無いとできないなと思いました。
ボランティアの方々の多くは、介護士、看護師などの専門職を中心に東北以外の地域から来ていただいているようです。
個人で来られる方もいれば、施設派遣で働いている方もいらっしゃいます。
私たちは、この拠点にも電動アシスト自転車、自転車、雨具、消毒薬、使い捨ての手袋とマスクを支援させていただきますが、派遣先の避難所で活躍してくれるものと思います。

献身的なボランティアの方々の癒しが・・・公民館の駐車場脇には、テントと共に何とも素敵なお風呂がありました。
田村さん曰く、「お風呂は大切です」
献身的なボランティア活動後の疲れた身体と心を癒すにはお風呂でのリラックスがとても大切だと言っていました。

これは、大工さんが建ててくれたとの事ですが、野趣豊かな・・・木の香り溢れる雰囲気で、確かにこのお風呂は癒されます。
こんな心配りも職員の方の気遣いと同時に、CLC殿が長年の支援活動で培った経験なのだろうと感じました。

現在も避難所支援という事で、近くは桃生小学校や遊楽館、南三陸の特養施設など数カ所へ派遣をしています。
震災から5ヶ月以上が経過し、被災者も避難所から仮設住宅へと移り、以前は数百あった避難所も少なくなり、同時に支援の形も次のフェーズに変わりつつあるようです。
此の様な拠点が、良い意味で整理され、必要なくなる時が震災の傷跡が癒えたという事なのかも知れません。
が、日本は世界の地震の20%が起こる国でもあり、日本の地形の80%は山間部と言われます。
そのような国で暮らす我々にとり、常に災害に備える意識と行政の備え、そしてCLC殿の様な地域や人々が互いに支えあうネットワークの充実は必要だなと改めて思いました。

2011年9月4日日曜日

ジャパンソサエティ協力支援予定:福島県相馬市のNPO法人「ひまわりの家」


 被災地の東北三県へ、訪問介護や弱者向けの活動をしているNPOや事業所に対して物資支援をしようと活動を始めましたが、どこを支援をする事でより有効に活用していただけるか?
宮城県は、石川理事長の人脈やネットワークから推薦をして頂き、支援し訪問をしました。
岩手県は、立教大学のネットワークを利用し支援先をリスト化しました。
福島県は意外と手間取りました。
 福島県は地震や津波の被害のみならず、福島第一原発の事故で広範囲に立ち入り禁止、あるいは緊急時避難準備地域に選定されていて、双葉町、浪江町、南相馬市の住民の一部が退去しており、また放射線被害に怯える大勢の住民が県外へ非難をしています。
 今の現状と現在活動している事業所とその所在地を探すのに少し手間が掛かりました。
 現在、相馬市、南相馬市、須賀川市の4箇所の事業所への支援を決めています。
そのうちの一つ、相馬市にあるNPO法人「ひまわりの家」を訪問しました。

訪問当日は、理事長の般若よし子さん、長瀬秀子さん、訪問介護ご担当の熊坂さんとお話しをする事ができました。
 「ひまわりの家」は、知的障がい者、身体障がい者の方々の就労支援、地域の支援活動センター、共同生活援助事業のグループホーム、居宅介護事業や介護タクシーなど、相談から具体的な支援活動までワンストップで提供している幅広さがありました。
お伺いした日も、利用者の方や就労支援を受けている利用者の方々が軽作業を行っていました。
 当初からNPOとしてスタートしたのではなく、平成11年に、最初は小規模な障がい者のための作業所からスタートし、利用者や地域のニーズに応えるうちに、徐々に支援規模、事業規模が広くなり平成14年にNPO 法人化しました。
今は、約100人の利用者の方々がいるそうです。
 主に相馬市内の方々中心に一部 南相馬や鹿島町まで行かれているようです。
今の「ひまわりの家」は元クリニックをされていた建物をお借りしたようで、元の診察室、処置室、待合室などの部屋を1F、2Fと機能的に利用されている気がしました。
震災当日は、利用者の安否確認や訪問、避難者の受け入れと、次から次と来る出来事に対応する毎日で、非常に忙しかったそうです。
 スタッフの方も病気になる方でも出て、少ないスタッフで施設や現場を支えていくのは大変だった事と思います。
 大きな震災だっただけに、一般の方々も大勢が被災にあっており、ともすると埋もれてしまいがちですが、日頃から社会的弱者を支ている人や組織に過大すぎる負担を強いない社会の受け皿と柔軟性が必要な気がします。

 震災から5ヶ月経過してようやく少し落ち着いてきたとの事です。
現在、力を入れているのはグループホーム事業で、プチトマトの名称で現在7カ所を展開しています。

 配食サービスも行っており、60〜70食のお昼ごはんを届けています。
こちらへは電動アシスト自転車や自転車、雨具、消毒薬などをご支援させていただきます。
「ひまわりの家」は、グループホームを含めた拠点数も多く、活用をしていただると思います。
しかし、福島、宮城、岩手は東北地方です。
3ヶ月もすると雪が降ってきます。
 その後は、4ヶ月は雪の中の暮らしになります。
被災後に初めて迎える冬の対応が必要だとも感じました。

2011年9月1日木曜日

ジャパンソサエティ協力支援:物資支援2号 石巻市「めだかの楽園」

仙台からレンタカーのカーナビに目的地をセットする。
「めだかの楽園」の電話番号をセットするとちゃんと認識しました。
カーナビの画面上にルートが表示され、機械的な女性の声で指示されます。
その指示に従って運転をすると、ちゃんと目的地へ連れていってくれました。
そこで見たのは、津波に洗われた広大な荒野、津波と火災で黒く変色した小学校の跡地。
そして、かろうじて2階部分だけが残っためだか学園の姿でした。
郡山、仙台市内を走っていて、今ひとつ実感の沸かなかった、東日本大震災が、強烈な現実感を伴って目の前に登場した気がしました。


ここにあった「めだかの楽園」は、600坪の敷地に通所介護のデイケアセンター、小規模多機能型居宅介護、広い庭、独立して立っていた食堂。
今は廃屋になった建物の中に入っても、入り口に設置されたエレベータ、屋内には大人4人でも一緒に昇り降りできるような広い階段。
きめ細かなバリアフリーの工作など、決めの細かな配慮を感じました。
連絡はしてあるので、今の場所と別なところに転居した様です。
新しい住所を入力すると、カーナビはその場所へ連れていってくれました。
(今回の旅はカーナビにずいぶん助けられました)
石巻の沿岸部は、5ヶ月以上経過する今現在でも多くの信号が点灯せず、交差点のあちこちに警察官の方が出て厳しい暑さの中で車をさばいていました。
(お疲れ様、熱中症にならないで下さいね)


傷ついた市内を抜けると、大きな交差点に出て、その交差点に「めだかの楽園」の大きな看板を見ました。
見事に再生していました!!(ちょっと感動)
明るい入り口には、全国から送られた励ましの言葉が壁一面に貼られています。
広いフロアーを大胆に区切った屋内には、ディケアで通って来られた利用者の方と職員の方がいらっしゃいました。
「めだかの楽園」の管理者 井上利枝さん
そして、「めだかの楽園」の介護支援専門員の井上うみかさん(利枝さんの娘さん)にお話を伺うことが出来ました。


「めだかの楽園」は、有限会社井上技建という建設業だったようです。
ボランティアで始めた高齢者介護がいつのまにかめだかグループとして、地域に根ざす多機能な介護施設になりました。
「めだかの楽園」は、小規模多機能型居宅介護を、
「めだかの楽校」は、通所介護を、
「めだかケアセンター」は、居宅介護支援、「めだか訪問介護センター」は訪問介護を。
その他に、「めだかの食卓」ではバリアフリーで入れる食堂として食事の提供はお弁当の配達。
その他に福祉用具の販売やバリアフリーの施工(これは、本業ですよね)を行っています。

この様に書くと、震災後も順調に復旧した様に見えますが、お話を伺うとまったくそうではありませんでした。
震災当日は、いつもの地震と異なる揺れから、その日は利用者と職員の方を含めて40人居ましたが、全員を車に乗せて、安全な高台へ避難をしました。
その直後に大きな津波が襲ってきました。
避難をした場所は、石巻市で指定をした避難場所ではありませんでした。
(そこは位置的に不安があったため)
さらに安全な場所を日頃から持ち主と話し合って協力をしていただくようにしていたそうです。
その結果が功を奏して、あの未曾有の大震災で利用者、職員を含めて一人の犠牲者を出すこともありません。
最初、私たちは「めだかの楽園」の廃屋になった建物を見た時には、ここで何人の方が亡くなったのだろうかと想像しましたが、一人の犠牲者も出していない事により驚きました。
後ほど、「めだかの楽園」を管理している井上さんたちが、消防の年に2回の法定訓練以外に自主的に年に2回の避難訓練をしていたと聞き、日頃の訓練の成果がいざとなった時にきちんと結果に現れるのだなと痛感しました。
言うのは簡単ですが、なかなか実行できるものではありません。

ただし、助かったとは言え、施設は流されて命だけが助かった状態です。
利用者の方に十分なケアをする事もできません。
また、当日来所されなかった利用者の方で亡くなった方もいらっしゃいました。
利用者の方々をそれぞれに避難が出来る場所やケアを受けていてくれる場所へ送り出し、しばらくは何をして良いものかと避難所で意気消沈をしていたそうです。
その時に、今の建物のオーナーの奥様と井上利枝さんがご友人で、お友達に励まされて、かつては100円ショップだった建物をお借りして再起をしました。
大きなお店だったせいか、フロアーが広くて、天井が高く、窓が大きくてとても明るい雰囲気があります。
間取りの設計をし、施工をする時も普段は介護をしている職員の方々がプロの大工さんと一緒に釘を打ち、木を切り作りあげたようです。
苦労をしつつも素晴らしい再起を図れる施設ができました。



この施設の魅力の一つが24時間いつでも入れる大きな浴場です。
お店の中の水まわりなので、専用の浴室ではなく簡易的な感じですが、むしろその野趣を感じる雰囲気が入る人には気持ちが良いのでは無いでしょうか。
私も入ってみたいと思いました。

地震や津波が多くの思い出や写真を持って行ってしまったので、壁には様々な記事や写真が貼ってありました。
全国からの励ましや寄せ書きも貼ってあります。
こんな応援団に囲まれていると、頑張らなくてはという気持ちになりそうです。


お父様の井上光さん、利枝さん、うみかさんの3人に支援をさせていただいた10台の自転車と雨具を持ったところを撮影させていただきました。
職員の方も車や家財道具を流されて、ずいぶんと困っていたので、自転車はとても助かると言っていただけました。
震災直後は自転車の盗難も横行したそうで、「めだかの楽園」も被害にあったそうです。

施設を再開したとはいえ、まだ職員の数も十分はありませんし、利用者も以前の半分ほどです。
まだ、復興の入り口に立ったばかりです。
「めだかの楽園」の施設としてのケアをする質の高さからしても、今後も十分に地域に貢献し中核になるのではという可能性を感じます。
私たちも十分な支援ではありませんが、これから先も交流を重ねて共に成長できればと思いました。